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内田雅章

内田雅章の半生と人脈にかける心

座右の銘は「人生やったもん勝ち」

ビジネスにおける最大の武器はと問われたとき、どのようなものを思い浮かべますか。「人脈」という目に見えない、しかしながら、最強の武器を使いこなしビジネス業界を走りぬいている人物がいます。それが内田雅章その人です。

内田雅章は常にお金や人について考え、様々な切り口から物事を見ている人物です。人生の持ち時間は限られていると常日頃意識している内田雅章は、日々を無駄なく、しっかりと意味のあるものにすべく奔走し続けている人物です。そんな彼だからこそ多くの人々の心を動かすことができているのでしょう。

「人生やったもん勝ち」と考える一方で、「人に生かされて生きている」とも内田雅章は感じています。それほどに人と人とのつながり、人脈を重視して最良の道を歩み続けていくことが彼のポリシーとなっています。

ニーズについて考えたのは学生時代から

愛知県出身である内田雅章は、常に「どうやったらお金を1円たりとも使わずに生活ができるのか」を考えている一風変わった学生時代を過ごしました。例えば、彼は散髪の料金を支払う代わりに合コンをセッティングすることで借りを返すなどの工夫を行い、相手のニーズを埋めるべく行動を起こしていました。学生時代にこうしたニーズの把握と実行を実践していたのも内田雅章ならではと言えるエピソードです。

ニーズを満たせば人は動いてくれる、そう実感していた彼は、早稲田大学商学部を卒業した後に三和銀行(現三菱東京UFJ銀行)へと就職します。いつか自分で会社を興し、商売したいと考えていた彼にはぴったりの職場でした。この時期でも人脈づくりを常に意識し、常識を覆すような方法を駆使しながらノルマを達成して実績を作り上げていきました。

実行力とそこでの学び、そして人脈づくり、内田雅章はあらゆる角度から物事をとらえ発展させる力をどんどん発揮していったのです。こうした能力はのちに彼にビジネスにおける経営力や人脈作りの確かなノウハウをもたらしてくれるようになります。行動力、ニーズの把握は若いうちから彼が積み上げ続けていったものでした。

起業とそこで積み上げた経験値

大手の就職先にもかかわらず、内田雅章は29歳で三和銀行を退職します。しかし、退職後のビジョンははっきりとしていました。自分で商売をするという目標のために欠かせない勉強に取り組み始めます。

実家がアパレル会社を経営していたため、衣食住のうち食と住まいについて取り組み始めました。まず、友人が経営するお弁当屋や、不動産業で2足のわらじを履く生活を始めました。午前中に弁当を作り、午後にスーツに着替えて不動産の仕事をするリズムで内田雅章は働き続けたのです。その時代においても、どんな人がより多くのお金を稼いでいるのかについて考え続けていました。

さらに、内田雅章はひょんなことから銀座のクラブでオーナーの仕事に就くことになりました。接客を通しながら、女の子よりも内田雅章を目的として会いに来てくれる客を獲得するための方法を常に考えていました。そこでも、コネクションを獲得するために貸し借りをきっかけに作ったり、ニーズの把握と実践的なあらゆる行動に力を入れたりしていました。そうして数々の人脈づくりを重ね続けたのちに、とうとうバリュークリエーションの社長と運命的に出会ったのです。この出会いが、また彼を次なるステージへと進ませることになりました。

人脈を武器にコンサルティングへ

ベンチャーキャピタルであるバリュークリエーションの社長天井との出会いから、内田雅章は社長室長、日本ベンチャー協議会事務局長の座に就くことになりました。ベンチャー協議会の会員である社長からのヒヤリングが彼の主な仕事でした。相手の懐に入る技をしっかりとしたコミュニケーション能力を使い、2年の間に180社のオーナー社長との縁を作ることに成功しました。このときの人脈が、内田雅章にとっての最大の財産となりました。

そこから、株式会社就職課の立ち上げに向かいます。学生のやる気、学歴の関係ない就職活動を目標に立ち上がったこの企業は意識の高い学生、ベンチャー志向の学生、サポートしたい大学の就職課の懸け橋として役立つようになりました。その後、「政治屋失格」という書籍の出版に至ります。

この書籍は、政治に関して内田雅章の想いを限りなくぶつけ表現したものとなりました。現在の政治家という職業に疑問を投げかけ、今の若い世代へのエールを送りたいという彼なりの行動でした。若い世代への期待、人脈づくりを若いうちから行っていくべきという思いの強さはこうした書籍からも現れていると言えるでしょう。

この本の出版への動きや今までのキャリアを通した経験値を活かした仕事としてコンサルティングの仕事を請け負っています。

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